さよなら妖精

案外、「とらドラ」以外も読めるものだ。

3、4、5と一気に読んだが、こちらがインパクト強かったので優先して書くことにした。

ついさっき読み終わったのだが、ちょっと放心状態。これまで読んできた米澤作品で一番重い内容だと思う。ユーゴ紛争に絡めた本作は、切なく哀しい。主人公の切なる願いも所詮は単なる憧れでしかないことに少年期のヒロイックシンドロームを感じた。

ただ、この話、じぶんがかつて学生時代に経験した友人との別れを思い出してしまい、なんとなく客観的に読めなかった。

自分が日大芸術学部放送学科4年だった時分、ラジオ制作実習なるものを選択していた。
読んで字の如く、ラジオ番組やラジオドラマを制作する授業である。

その時に清水さんと出会った。プロの役者として活動していた清水さんは、なんにでも首を突っ込みたがる性分で、その実習に関しても例にもれず、以前から参加していた事務所の後輩にくっついて江古田にやってきた。

実習作品の試聴会に参加しては、他の役者さんは多少オブラートに包んだ言い方で感想を言うのだが、彼はそんなことお構いなしで、歯に衣着せぬ物言いで周りを唖然とさせたこともしょっちゅうだ。

もちろん自分も実習作品を一刀両断され、ずいぶんへこんだものである。ただ、それでも彼は決して愛想が悪いわけではなく、むしろ人懐っこい位にぐいぐい他人のテリトリーに笑顔で踏み込んで、分からないことがあれば誰にでも質問し、納得するまで考え込むような人であった。そして、年長者として後輩の面倒見もよく、誰からも慕われていた。

世間知らずのガキだった自分も、そうやって腹を割って話してくれる清水さんに物怖じすることもなく、毎日のように行きつけの居酒屋「かぐら」で様々なことを話し込んだ。

知り合って半年になろうかという頃、夏休みも終わり、卒業制作用に作った脚本が教授の許可を得て制作段階に進み、ロハで出演していただける役者さんを探すことになった。もちろん清水さんにお願いした。清水さんは快く引き受けてくれ、出演以外のことでも色々手伝ってもらった。効果音制作や実際に演じた場合の脚本の齟齬の訂正など……。

だが、清水さんが役者として作品に出演することはなかった。

10月末、突然の逝去。

あまりにも突然過ぎて言葉が出なかった。死因は首部圧迫の窒息死。原因ははっきりとは分からない。ただ分かったのは、亡くなる前日の夜もスタッフの皆と飲みに行ったということだけ。その日の飲みに限って自分は部活動の稽古で参加していなかった。

悔しい悲しい辛い苦しい、言葉にできない想いが体中を駆け巡り、どうしょうもないほど泣き叫んだ。訃報を聞いた直後に学食で食べたカラアゲ丼は全く味がしなかったことだけは今も覚えている。


たった半年間の出会い。しかし、それは大学生活の中で最も濃く、有意義なものだった。加藤登紀子の詩を借りるなら「嵐のように毎日が燃えていた」。
流星のように、一瞬の煌めきだけを残して皆の前から消えて行った清水さん。

なにか事件があって、あのとき見えなかったものが後々になって見えてくることがあると、小説やドラマでよく言われる。一体それは何なのだろうか。

未だに何も見えてこないが、ただ言えるのは、清水さんはマーヤにとてもよく似ていた。「哲学的な理由はありますか?」と聞くようなことはなかったが、本当にとてもよく似ていた。それだけだ。

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)

さよなら妖精 (ミステリ・フロンティア)



今回は非常に感傷的になってしまった。「人は二度死ぬ」という。一度目は「肉体の死」二度目は「記憶から消えてしまうこと」。

いつか清水さんとの出会いを一つの物語にしたい。もう二度と死んでほしくないから。